― 正解を探さなくていい、という話 ―
占いを見るとき、
「当たっているかどうか」が
どうしても気になってしまうこと、ありませんか。
良いことが書いてあると、
少しほっとして。
悪いことが書いてあると、
胸のあたりが、ざわっとする。
私も、そんなふうに
占いに一喜一憂していた時期がありました。
でも、少しずつ思うようになったんです。
当たっているかどうかばかりを気にしていると、
自分の気持ちが、
どこか置いていかれてしまう気がするな、と。
「当てる占い」が向いている場面もある
まず最初に、ひとつだけ。
「当てる占い」が悪い、
という話ではありません。
・背中を押してほしいとき
・決断のきっかけがほしいとき
・少しワクワクしたいとき
そんな場面では、
当てる占いが助けになることも、たしかにあります。
ただ、
心が疲れているときや、
自分を責めやすくなっているときには、
占いの言葉が
そのまま重たくのしかかってしまうこともある。
私は、そんなふうに感じることが多かったです。
「理解する占い」という考え方
四柱推命に触れていて、
私がいちばん楽だと感じたのは、
「未来を当てる」ことよりも、
**「自分を理解する」**という使い方でした。
たとえば、
「どうして、こんなに頑張りすぎてしまうんだろう」
「なんで、同じところでつまずくんだろう」
そんな問いに対して、
「それはダメだから」
ではなくて、
「そうなりやすい性質があるのかもしれないね」
と、そっと見ていく感じ。
責める材料ではなくて、
理解するためのヒントとして使う。
それが、
私にとっての四柱推命でした。
当たらなくても、意味がある
「それ、あまり当たってない気がするな」
そう感じることも、
もちろんあります。
でも、
大事なのは
当たっているかどうかよりも、
・どう感じたか
・どこが引っかかったか
・なにが嫌だったか
そこを見ることだったりします。
「当たらない」からダメ、ではなくて、
「今の自分には合わない」
それだけのことかもしれません(´`*)
正解を探さなくていい
占いを見ていると、
つい「正解」を探してしまいます。
これを選ぶべき?
今は動くべき?
それとも、休むべき?
でも、このブログでは、
その正解を出そうとはしていません。
四柱推命は、
「こうしなさい」と言うものではなくて、
「こういう見方もあるよ」
と、そっと置いてくれるもの。
その中から、
今の自分に合うものだけを
拾えばいいと思っています。
おわりに|占いとの距離は、自分で決めていい🍀
当てる占いも、
理解する占いも。
どちらが正しい、
という話ではありません。
ただ、もし今、
・占いを見るたびに疲れてしまう
・自分の気持ちが、わからなくなっている
そんな感覚があるなら、
少し距離のある使い方も、
あっていいと思うんです。
四柱推命は、
未来を縛るものではなくて、
今の自分を知るためのひとつの視点。
そのくらいの距離で、
ちょうどいいのかもしれません。
このブログでは、
そんな距離感で、
ゆっくり言葉を置いていきたいと思っています。
